ケータイ辞書JLogosロゴ 大津倉村(近世)


千葉県>長柄町

 江戸期〜明治22年の村名。上総国長柄郡のうち。江戸期は大津蔵とも書いた。寛永11年から旗本大久保氏領。村高は,文禄3年「石高覚帳」397石,「元禄郷帳」400石,「天保郷帳」500石余,「旧高旧領」499石余で,いずれも大津蔵と見える。「上総国村高帳」では家数76。村内長沢谷に代官屋敷と呼ばれるところがあり,寛文年間の長島家のりっぱな墓石が残り,同家が大久保氏の地代官をつとめていたと思われる。巡見使伝馬役,日光社参夫役などは茂原村出し,継立人馬は長柄山村出し,鷹狩人馬は六地蔵村出し。幕末改革組合村は刑部村組合に所属し,公用の貨物や人の継立人足馬を刑部村へも差し出した。幕末から明治期にかけて正善寺住職の開いた正善寺塾は塾生100余人を擁した。明治6年千葉県に所属。同年の戸数71・人口360(高山学校位置書上書)。同18年の反別129町6反余,神社は大国主神社,寺院は日蓮宗正善寺,真言宗泉光院など(上総国町村誌)。大国主神社は,江戸期甲大明神と呼ばれ,寛政12年には神楽の面が新調寄付されている(長柄町の文化財)。明治22年水上村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292114
最終更新日:2009-03-01




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