大廻村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。下総国印旛郡のうち。「寛文印知集」によれば寛文4年佐倉藩領分の村として見え,「各村級分」では旗本川村氏領,「旧高旧領」では佐倉藩領。村高は,「元禄郷帳」91石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに92石余。寛永15年造谷村との境,惣深新田飛地関台をめぐって争論が起きたが,当村所持地として裁許が下る。元禄14年指出帳によれば,反別田9町余・畑3町余,溜池が1か所,家数16・人数88,馬18(川砂家文書)。享保12年山書出帳によれば,松林3町余があり,山銭永125文を負担。また,延享3年の年貢は米33石余・永864文余,ほかに夫役・百姓山銭などを納入。神社は宗像神社,寺院は曹洞宗竜淵寺。明治6年千葉県に所属。明治22年宗像【むなかた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292175
最終更新日:2009-03-01