ケータイ辞書JLogosロゴ 大和村(近世)


千葉県>富里町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国印旛【いんば】郡のうち。天正19年2月21日の検地帳には,「下総国印東庄大輪」と見える(区有文書/県史料諸家)。佐倉藩領,ただし享保年間からの持添新田分は幕府領。村高は,「元禄郷帳」156石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに208石余。神社は駒形神社・八幡神社・子安神社,寺院は真言宗真照院。なお,真照院は,安永9年火災にあい,文化7年名主庄兵衛らの尽力によって復興している。この間,真照院は自ら堂宇の再建をしようと金策を急いだためか,別当をしている駒形神社の立木を,氏子に無断で売却したため騒動が起きている。文化9年久能村と用水堰をめぐって村方出入が起きている。天保4年と考えられる夫喰拝借願によれば,家数20・人数104(区有文書)。当村は根木名村の定助郷村であったが,安政2年からは鹿島街道沿い寺台宿の定助郷も兼ねている。明治6年千葉県に所属。明治22年富里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292242
最終更新日:2009-03-01




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