ケータイ辞書JLogosロゴ 大和田村(近世)


千葉県>八千代市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国千葉郡のうち。佐倉藩領。村高は,「元禄郷帳」118石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに142石余。萱田町とともに佐倉道大和田宿を形成。大和田宿の定助郷は10か村,大助郷は25か村。安政4年には庄右衛門が名主と問屋をつとめている(大沢家文書)。安政6年の人馬賃銭は大和田〜臼井で本馬1疋67文・軽尻1疋43文・人足1人33文,大和田〜船橋で本馬1疋123文・軽尻1疋67文・人足1人59文(佐倉市史)。旅籠屋として近江屋・東屋・中村屋・舛屋などがあった。文久3年5月21日〜6月18日に当宿に宿泊した人数は,521組1,436人で,1日平均約51人。このうち319組914人は成田山新勝寺参詣あるいはその帰りの人々であった(船橋図書館所蔵文書)。嘉永3年の当村の年貢米は36石余,ほかに永5貫10文余。金1分2朱・鐚60文を納めている(成田図書館所蔵文書)。なお,安永7年の年貢皆済では,年貢米の約85%を佐倉城内椎木蔵に収納している(大沢家文書)。神社は時平神社,寺院は真言宗円光院。明治6年千葉県に所属。明治4年の職業構成は,農業42・旅籠屋2・醤油屋1・濁酒屋2・染物屋1・絞油屋1・煙草屋1・大工1・医師1・按摩1で計53戸(佐倉市史)。同6年出戸小学校(のちの大和田小学校)が円光院を仮校舎として開校。明治22年大和田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292261
最終更新日:2009-03-01




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