ケータイ辞書JLogosロゴ 上代村(近世)


千葉県>東庄町

 江戸期の村名。下総国香取郡のうち。文禄元年松平(深溝)家忠が当地に陣屋を置き,1万石を領有したが,同3年小見川に転封された。はじめ小見川藩領,慶長15年から佐倉藩領(藩主はともに土井利勝),寛永19年から旗本筒井氏領,天和3年筒井忠清の家督相続の際弟平大夫に分地したことにより以後旗本筒井2氏の相給。村高は,「元禄郷帳」1,173石余,「天保郷帳」782石余,「旧高旧領」には見えない。なお,「天保郷帳」には当村枝郷として大久保村226石余・舟戸村298石余・和田村121石余が見える。万治2年草分けの五左衛門らが現稲荷入に新田を開発,移住する。また,寛文9年からの椿海干拓には当村ものちの萬歳・関戸両村に出作しており,萬歳村に関しては元禄9年成立するが,その前年の検地帳には上代村下と見える。明和9年頃,当村は大久保・舟戸・桜井・和田・神田の5か村に分村して消滅(上代三ケ村一体之部明細記/上代克己家文書)。なお,江戸前・中期に上代郷と称する場合は上記5か村,および溝原村と椿新田の萬歳・関戸2か村を合わせた8か村に当たる(香取郡誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292590
最終更新日:2009-03-01




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