ケータイ辞書JLogosロゴ 鎌数村(近世)


千葉県>旭市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国匝瑳【そうさ】郡のうち。はじめ幕府領,寛延3年佐倉藩預所,宝暦11年幕府領を経て,明和4年一部が安中藩領,文化14年さらに一部が旗本古川氏領となり,3給となる。村高は,「元禄郷帳」では1,385石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに2,033石余。寛文年間の椿海干拓によって成立,当時は太田村下として把握され,名主は延享年間まで太田村の兼任。干拓後椿新田排水の命脈にあたる新川への落口に位置するため,数多くの用水争論を展開した(旭市史)。地味が悪いため生産力は低く,入百姓が多い。溜井は高橋・袋溜井。宝暦11年鷹場(御捉飼場)縁村に指定される。神社は干潟八万石の守護神であった鎌数伊勢大神宮,厳島神社。寺院は黄檗宗広徳寺・浄土宗称名寺・臨済宗浄松寺など。明治8年千葉県に所属。同年大松治右衛門が私立鎌数学舎を設立。同10年頃には鎌数学校が開校。明治22年共和村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7292764
最終更新日:2009-03-01




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