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上村(中世)


 南北朝期~室町期に見える村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7292781]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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上村(中世)

鎌倉期~戦国期に見える村名若狭国遠敷【おにゆう】郡名田荘のうち建治3年8月日安居院実忠は名田荘領家職を外孫実盛に譲る旨再度譲状に認めたが(大徳寺文書1/大日古),譲渡の対象である名田荘7か村の内の1村として「上村」とある但し上村・三重村は実忠管領ののち嫡子禅師丸に譲ることとある名田荘7か村は上荘と下荘に分けられていたが当村は上荘に属しており,弘安3年9月15日の坂本村売券案によれば,坂本村と境を接し(真珠庵文書),応永13年12月23日の室町幕府管領施行状写によれば,「ウエ」村と称されていた(京府若杉家文書)鎌倉期の本家職・領家職の相伝経緯は未詳南北朝期に入り当村は内裏料所となり,文和2年以前に祈祷料所として陰陽道の土御門(安倍)家に宛行われていた(土御門家文書)暦応元年には雑掌重兼が当村の支配に当たっていたが(京府若杉家文書),貞和3年には山門雑掌重舜が,観応2年には中井道覚が当村は日吉社領であると称して乱入し(真珠庵文書・土御門家文書),また貞治3年にも新名平次郎の濫妨を受けたため,雑掌重兼は違乱の停止を願う訴状を提出している(土御門家文書)応永10年にも当村は南六郎宗緒の押妨を受けているが(三浦周行氏所蔵文書),内裏祈祷料所という「各別地」で,外宮役夫工米・守護段銭・陣夫役等が懸からない「諸公事免除地」として(京府若杉家文書文明5年11月25日付室町幕府奉行人連署奉書案),押妨は退けられている土御門家30代有宣は永正10年当村に居住したと伝え(若狭国志),永正10年3月3日には当村への軍勢乱入・課役・刈田狼藉を停止する禁制も出され(谷川左近家文書),戦国末期まで土御門家の当主による相伝知行が続いた時には武田信豊など若狭国守護の依頼を受けて泰山府君の祈祷が行われることもあった(京府若杉家文書)土御門有春は上村惣百姓に米銭を貸し付けたり,田畠を質に取っていたので,永禄7年6月2日,もし国中に徳政が行われてもこれらの債権が破棄されないように安堵状を下してもらおうとしたことも知られる(同前)天正年間に土御門有脩は「上村〈号納田給〉」に国替目段銭を免除してほしい旨,丹波長秀の奉行人長束正家に訴えている(同前)しかし天下統一の動きの中で徐々に土御門家脩の支配は後退していったようで,慶長5年には土御門久は京都へ居を移さざるを得なかった以降泰山府君信仰は土御門家に代わって地元の谷川家が担ったようである(谷川左近家文書)なお上記の引用に見えるように天正年間以降当村は「納田給」「納田終【のたおい】」とも称されるようになる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

上村(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える村名...

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上村(中世)
南北朝期~戦国期に見える村名那賀郡鞆淵荘のうち「カウノムラ」ともいう正平14年11月日の鞆淵荘上村仏神田注文(鞆淵八幡神社文書/県史中世1)に「上村」とあるのが初見当村の「堂田分」として妙法寺・橋寺・岩滝寺・今中寺・梅尾寺などの油田3反340歩,「神田分」として1反270歩が記載されているこれより以前,鞆淵荘では「トモブチ動乱」といわれた下司と百姓の争いが起こり,観応2年高野山の仲介で和談が成立し,各村の仏神田が配分されることになった同荘は江戸期には上番・中番・下番の3つに分かれているが,すでに南北朝期から上・中・下に分かれていたことがわかるその後,正長元年に高野山は大検注を実施しており,この大検注に基づいて作成された正長~享徳年間ごろと推定される同荘上村歩付帳(同前)の表紙には「カウノムラ」と記し,小字名として「トリフチ」「ケヤカワ」「垣内」「コハヤシ」「井谷垣内」「ホン河ユヤノモト」などが見える同2年8月25日の鞆淵園大検注分田支配切符(同前)にも「合妙法寺免半内」の所在地として「上村」が記されているついで宝徳2年3月23日の同荘公文分栗地子帳(同前)には「上村栗地子」として計349文が書き上げられ,「イノシリ」「タフノ」「上カイト」「タケノシリ」「ヲトカワノ」「ハタケタ」「井谷」「ツゝラノ」「ソワノ」「小ハヤシ」などの字名が記載されている下って天正15年11月30日および同17年12月23日の鞆淵荘納帳(同前)には同荘を構成する村の1つとして「カミノムラ」と見え,「ヲキサヒカシ」「イタニノヒカシ」「クホノハヤシ」「クホノウエ」「ヰノシリ」などの字名が記載されているこれらの字名のうち,現在粉河【こかわ】町上鞆渕には,小字名として林・久保・井ノ谷・小林などが残っている当村には代々公文職を勤めた林氏が居住したなお字小林は江戸期の南地村となったとする説もあるまた天正19年10月日の高野山寺領注文(勧学院文書/高野山文書1)には「ともふちの内」として「上村」が見えている江戸期の上番村,現在の粉河町上鞆渕に比定される...

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上村(中世)
鎌倉期~室町期に見える村名和泉国和泉郡池田荘のうち初見は元徳2年8月12日の六波羅探題御教書(松尾寺文書/和泉市史1)六波羅は「池田庄上村地頭代」に対し,松尾寺の寺用米についての訴訟審理のため,名主らをつれて上洛するよう命じている文永9年10月には御家人として池田上村左衛門尉の名が見えるが(和田文書),永和4年7月25日の楠木正儀下知状(同前)には「池田庄上村地頭和田下野守正光代顕尊」と見え,この当時,上村地頭が和田正光で,その代官顕尊が現地支配にあたっていたことがわかるこのとき地頭方と松尾寺は梨子本池の再興について争っていたが,正儀は松尾寺の進退とすることを決定したなおこれより先の永仁2年正月18日「池田庄上方箕田村沙汰人名主百姓等」が松尾寺との間で梨子本新池と寄進田について契約状を作成しているが,この「上方」の地域がのちに上村と呼ばれている地域と同じとみられる室町初期と推定される年未詳2月5日の日根野国盛宛畠山基国書状(日根文書/岸和田市史6)に「池田下村被請取候由承候」と記したあとに,「又上村刀禰職事,上意にて候ハてハ道行へしとも不覚候」とある下村に入部した国盛は,上村刀禰職を得て上村にも支配を及ぼそうと望んでいることがわかる天正15年6月の池田谷上村八ケ村の借用状によれば,「池田谷上村八村中」は高野山蓮明院から130石の米を借りており(荒木家文書/和泉市史2),上村として「室堂村・松室村・井戸村・和田村・三林村・上林村・さぬきた村・浦田村」の8か村が見え,ほかに「市八(場)・かちや」の名も見える現在の和泉市室堂町・万町・浦田町・鍛冶屋町・和田町・三林町を中心とする地域に比定される...

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上村(中世)
 鎌倉期から見える村名...

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上村(中世)
鎌倉期から見える村名因幡【いなば】国智頭【ちず】郡智土師郷東方のうち嘉暦4年6月25日藤原真延其他起請文(金沢文庫古文書7)に「因幡国千土師郷東方上村内うつかの谷の百姓等」と見えるのが初見この地域はもと下総一帯に勢力をもつ豪族千葉氏の一族東六郎盛義の支配下にあったが,元亨元年6月22日にその3分の1が称名寺に寄進され(将軍〈守邦親王〉家寄進状案/金沢文庫古文書7),智土師郷東方上村のうち3分の1(宇塚)は称名寺の支配するところとなったしかし,この決定はなかなか実行されず,8年後の嘉暦4年7月11日に至ってようやく因幡国守護海老名維則の立会いのもとに所領の打渡しが行われた称名寺では雑掌兼久・光信らを下向させて現地支配に当たったさきの嘉暦4年の起請文は新たに上村3分の1の領主となった称名寺に対する忠誠を百姓らに誓わせたものであるしかし,東盛義との所領割譲の交渉はこの後もなお難行を続けたようで,元徳2年6月2日関東下知状(同前)によってあらためて上村全体を称名寺が領有することになっただが,この度の決定もまもなく鎌倉幕府が滅亡したことによって反古となってしまったらしく,康永2年7月16日因幡国智土師郷上村年貢結解状(同前)を最後に称名寺領智土師郷上村の名は史料上から姿を消すおそらく称名寺による上村支配は退転してしまったのであろう当村は千代【せんだい】川の上流土師川流域一帯を含むものと推定され,口早野地域に古城の存在が認められるこれは鎌倉末期における両度の悪党乱入に対し,上村百姓等が領主称名寺からの命令と援助を受けて立籠った城と推定される...

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上村(中世)
鎌倉期~戦国期に見える村名豊後国大野郡大野荘のうち同荘4か村の1つ現在の大野郡朝地町の市万田川流域および以北の山岳地帯に比定される村名は,大野荘内でも市万田川上流地域に立地し,上村と称したもので,中村・下村はやや下流域になる延応2年4月6日の大友能直後家尼深妙の惣配分状に,「大和太郎兵衛尉(一万田景直)分 同庄上村半分地頭職〈在別注文〉……女子美濃局分 同庄上村半分地頭職〈在別注文〉」とある(志賀文書/大友史料2)「弘安図田帳」では,美濃局分は横尾尼跡御所女房按察使御局が伝領し,一万田景直分は景直跡の鶴丸に伝えられている一万田氏は館【たち】に居館を構え,北の城山【じようやま】に居城を築いて鳥屋城と称し,ここを名字の地として領主的発展をとげる深山八幡は当村の鎮守である鳥屋城の東に大野泰基の反乱で有名な神角寺(真言宗高野山末)があり,本堂は国重文南北朝期南軍の優勢時に,肥後の菊池武光が大友氏の本拠高崎城(大分市)を攻略した際,九重山麓から大野荘を通って進撃し,当地を通って退却したこの時鳥屋城が要追撃の拠点となり,志賀氏らも一万田氏とともにこの城に拠って奮戦した(志賀文書/大友史料7)一万田氏は上村を本拠として大領主化し,戦国期には大友氏麾下の南郡八家の1つとなった上村の名は,文明17年11月15日の沓懸隼人助給所坪付が最後であるが(沓掛文書/大友史料12),「大野荘四ケ村」は天正15年頃まで見えるので(志賀四郎文書),中世末期まで存続していたと思われる名には田村名・袴田名・直北名・阿志野名などが見える(上津八幡文書・深山八幡文書)...

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上村(中世)
 南北朝期~戦国期に見える村名...

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上村(中世)
室町期に見える村名摂津国西成【にしなり】郡福島荘のうち寛正2年12月26日の中嶋崇禅寺領目録(崇禅寺文書/吹田市史4)に「野田村 木村分 三郎四郎〈小島〉半十歩〈東中村衛門二郎作,南中村衛門二郎作,西上村浄善作〉」とあるのが初見国人あるいは守護被官と思われる木村某の野田村内の所領が闕所化されて崇禅寺領となっており,そのうちの小島の田地190歩を三郎四郎なる作人が耕作していたが,その西隣の地を当村の浄善なる作人が耕作していた実際には上村なる記述のほとんどは「福島村 平田分〈上村〉左近三郎 半〈東類地……〉」「福島村 木村分 四郎三郎〈新堤内高畠〉大〈東上村弥七作……〉」などと見え,もと国人領であった寺領のうち,福島村内の所領を記した部分にのみ,その所領を耕作する作人の居住地として集中しており,また同様に「中村」「下村」なる記載も福島村に集中して見られるしたがって当村は福島村内の集落かあるいは福島村が上・中・下の3か村に分かれたうちの1か村かと推定される福島村内の平田分の田地を当村の左近三郎が,同木村分を太郎五郎・衛門五郎衛門・妙徳らが,同新衛門分を妙徳・衛門四郎らが,同塚田分を大夫二郎・衛門四郎・妙徳らがそれぞれ耕作しており,そのほか当村には弥七・治部次郎・左衛門九郎・六郎四郎・道心らの作人の存在が知られる現在の大阪市福島区のうちに比定されるが,詳細は不明...

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上村(中世)
室町期から見える村名入西【につさい】郡粟生田【あおうだ】郷のうち応永17年5月3日の前安芸守貞春寄進状(黒田文書/大日料7-14)が初見史料同寄進状には「奉寄進 武蔵国入西郡粟生田郷上村之内窪田弐段……円覚寺伝宗庵江,同所奉寄進之状如件」とあり,貞春の所領であった上村の窪田2反と厚河【あつがわ】郷の末松名【すえまつみよう】田2反・畑1所が,浅羽【あさば】郷の浄願寺(現坂戸市大字成願寺)の塔頭曇華庵主の寄進の旨に任せて円覚寺(神奈川県鎌倉市)の伝宗庵に寄進された永正10年10月15日在銘の坂戸大蔵院鰐口(現坂戸市大字浅羽大蔵院/銘記集)には,「武州入西郡粟生田郷上村七所宮常住鰐口」とある天正5年4月27日の信意(織田信雄)証文(上田文書/埼中)には,「定納……百拾四石 米方斗 上村」とあり,天野左衛門尉に当地が宛行われている「新編武蔵」では近世の粟生田村の小名山王には,昔山王社があり,前述の鰐口は山王社のものであり,上村は粟生田村の小名山王周辺であろうと推定している現在の県南部,高麗【こま】川右岸の坂戸市大字粟生田付近に比定される...

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上村(中世)
 室町期~戦国期に見える村名...

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