ケータイ辞書JLogosロゴ 木佐良津(中世)


千葉県>木更津市

 鎌倉期から見える地名。上総国望陀【もうだ】郡菅生荘のうち。茂原市三ケ谷永興寺蔵本尊釈迦如来像胎内文書の文永10年6月8日付奉籠願文に「きさらすの女房」と見える(木更津市史)。茂原市茂原藻原寺蔵の永正13年書写といわれる「仏堂伽藍記」の妙光寺の四天造立の項に「文和二年〈癸巳〉七月廿二日御衣木自木更津至(到カ)来」と見える(県史料諸家)。神奈川県鎌倉市小町本覚寺蔵応永17年11月8日付梵鐘銘に「上総州菅生庄木佐良津八幡宮御宝前」とある(県史料金石2)。文明年間には道興准后が木更津や吾妻の地名をあげて「爰にふと木更津の郷過れとも猶もあつまのうちとこそきけ」と詠んでいる(廻国雑記/群書18)。東京都杉並区高円寺の佐藤祐直氏蔵天文20年3月21日付釈迦如来像台座銘文に「上総国木佐良津成就寺坊敬白」と見え(木更津市史),天正4年(推定)7月2日の北条氏繁判物には本牧より「木佐良津」までの海上中にて記したとあり(堤文書/県史料県外),木更津市請西の長楽寺所蔵文書の天正19年11月日付寄進状にも「上総国望陀郡木佐良津郷」と見える(木更津市史)。なお「義経記」巻3頼朝謀反事には上総介広常が頼朝の使者が来ないのを不満に思い「きさうとの浜」へ兵を押し寄せ源氏を牽制しようと議したことが見えるが,この浜は当地に推定されている。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293096
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ