ケータイ辞書JLogosロゴ 北朝夷村(近世)


千葉県>千倉町

 江戸期〜明治22年の村名。安房国丸郡,のち朝夷【あさい】郡のうち。はじめ里見氏領,元和元年幕府領,のち「正保高帳」では旗本田中氏領,「房陽郡郷考」では忍藩領,「旧高旧領」では幕府領。村高は,慶長15年「里見家分限帳」731石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに555石余。「正保高帳」では村高555石余のうち,田332石余・畑178石余・寺社領45石。天保年間頃の家数237(石井家文書/県史料安房)。当村は千田・川口・忽戸・平舘【へだて】・南朝夷・平磯の6か村と入会漁場組合を形成(山口家文書/県史料安房)。この7か村は延宝2年・享保15年などに入会鰯漁をめぐって白子村と争論を行っている(同前)。明治6年千葉県に所属。神社は八幡神社。寺院は真言宗円蔵院・西養寺・円乗院。同7年北朝夷小学校設立,同11年南朝夷小学校と統合して朝夷小学校分校となる。明治22年曦【あさひ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293106
最終更新日:2009-03-01




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