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- 北中村(近世)とは
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北中村(近世) 江戸期~明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち梓川下流右岸の平坦地に位置する寛永4~9年犬飼村が6か村に分かれて中村が成立し,慶安4年中村が南中村と北中村とに分かれた中村の村名は犬飼村のほぼ中央に位置していたことによるという松本藩領村高は,慶安4年の検地で168石余,「元禄郷帳」86石余,「天保郷帳」169石余,「旧高旧領」170石余慶安4年検地帳に本百姓16・門百姓10とあり,安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)による家数20,人数114(男58・女56),大日堂の記載がある明治7年の調べによると戸数30・人数134また石盛は,上田1石7斗・中田1石5斗・下田1石3斗・下下田1石,上畑1石・中畑8斗・下畑6斗・下々畑3斗三又堰・北中北方堰などが通っているなお大日堂の創建年代は不詳境内に寛政9年の念仏供養塔,文政5年の馬頭観音像などの石造物がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年島内村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北中村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」