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- 北山田村(近世)とは
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北山田村(近世) 江戸期~明治8年の村名伊勢国員弁【いなべ】郡のうち員弁川の支流藤川上流域の台地上に位置する桑名藩領もとは山田村の枝郷で,北山田村・北山田新田の2か村に分かれていた(元禄郷帳・天保郷帳)村高は,「慶安元年郷帳」304石余,「元禄郷帳」では北山田村304石余,北山田新田26石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに373石余文政10年の家数86・人数472,医師1,牛32,馬4(桑名御領分郷村案内帳)乏水台地に位置するため元治元年奥沢に安兵衛溜,文化5年古建林に万助溜などを築き用水確保に努力したまた,桑名藩主本多忠勝の命により寛永12年に竣工した六把野井水,宝暦9年大木村の藤田平左衛門がつくった新井水によって多大の利便を得た神社は鳥取神社,寺院は浄土真宗道場,修験宗戒宝院,阿弥陀寺(明治17年鳥取説教所と改名)がある明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属同8年鳥取村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北山田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北山田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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