ケータイ辞書JLogosロゴ 久保村(近世)


千葉県>御宿町

 江戸期〜明治22年の村名。上総国夷隅郡のうち。明暦年間頃御宿村が当村ほか3か村に分村して成立。「上総国村高帳」「旧高旧領」ともに旗本阿部氏領。村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに595石余。「上総国村高帳」では家数138。元禄16年の大地震,続いて起こった大津波で多数の溺死者が出たが,袴山の麓に合葬,正徳年間に供養塔が建てられ千人塚と呼ばれた。神社は袴山の山上に浅間神社がある。寺院は日蓮宗妙昌寺。明治6年千葉県に所属。明治3年花房藩主が妙昌寺に郷黌を開き儒臣依田氏を教授としたが,わずか10か月余で閉鎖した。同7年久保小学校開設,生徒数は男77・女9。同18年の反別225町4反余(上総国町村誌)。明治22年御宿村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293303
最終更新日:2009-03-01




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