- JLogos検索辞書>
- 久保町(近世)とは
「久保町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
久保町(近世) 江戸期~明治17年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治22年の町名伊豆国君沢郡のうち窪町とも書く狩野川の支流境川・大場川に挾まれた地域の中央に位置する地名は地形に由来する東海道三島宿21町の1つ幕府領元治2年の石高462石余,戸数89・人口447(三島町誌稿)宗門人別取調書上目録によれば慶応3年の石高430石余,家数83,うち本家54・地借7・店借22,人口429(三島市誌)当町は伝馬・大中島・小中島の3町とともに三島宿成立当初より中心をなした町の1つで,これら4町は親町・大所と称されていたしたがって寛永年間は石4町歩で伝馬役を負担「三島町誌稿」によれば,寛文年間の伝馬役277,下り人足359また「三島市誌」によれば,万治3年の伝馬役戸数40,馬277となっている街道の両側には旅籠が40余軒建ち並んでいた神社は八坂神社明治元年韮山県,同4年足柄県を経て,同9年静岡県に所属同3年の石高436石余,戸数79・人口386同5年当地の伝馬所の空屋を利用して,小学校開心庠舎が開校(同6年三島黌と改称)明治22年三島町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治7年の町名福井城下のうち石場町組の1町九十九橋の南詰に位置し,北陸街道沿いの町として北の城下への要所となった正徳3年の城下図(福井市立郷土歴史博物館所蔵文書)には「窪町」と見え,この地がかつて窪地だったことから町名になったという正徳3年頃の御城下惣町間数帳によれば,町の長さ57間,道幅4間となっている明治7年九十九町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治2年の町名古くは小石川村のうち元和9年伝通院領となる寛永2年百姓町屋の起立を許され,延享2年より町奉行支配となる明治元年東京府に所属同2年,久堅【ひさかた】町となる現行の小石川4丁目の一部... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期~明治初年の町名千本通一条下ルの町「宝暦町鑑」に町名が見える町組は不明明治初年西石橋町・中筋町と合併,西中筋町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久保町(近世) 江戸期の町名桜田7か町と兼房【けんぼう】町の総称桜田久保町と区別するため皆久保【みなくぼ】町とも呼んだ... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」