ケータイ辞書JLogosロゴ 雲富村(中世)


千葉県>大栄町

室町期から見える村名下総国のうち徳川家康関東入国後の天正19年11月日付家康判物によれば「下総国香取郡雲留郷内弐拾石」が大慈恩寺に寄進されている(大慈恩寺文書/房総叢書)なお,大慈恩寺は千葉一族大須賀氏の菩提寺で,古くは雲富山慈恩寺・雲富寺と称し,すでに鎌倉末期の金沢文庫所蔵「鉄塔諷誦」永仁6年12月28日付奥書に「於雲富山草之了」と見えている(県史料県外)また,鎌倉末期〜南北朝期のものと推定される6月12日付法淳書状に「胎蔵界書写候事,暁空御房之本,指合之由,被仰候,若雲富へかせて可書写候哉」とあるのも大慈恩寺を指すと考えられる(金沢文庫文書3)当村は大慈恩寺のある現在の大栄町吉岡付近に比定されるなお,応永33年4月10日の平(大須賀)朝信証状(大慈恩寺文書/房総叢書)などには西雲富村の地名も見える
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293325
最終更新日:2009-03-01




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