ケータイ辞書JLogosロゴ 黒岩村(近世)


千葉県>和田町

 江戸期〜明治22年の村名。安房国朝夷【あさい】郡のうち。明暦元年,上三原村から分村して成立(大日本国誌)。文政10年館山藩,旗本京極2氏の相給(川名家文書),「房陽郡郷考」では忍藩領,「旧高旧領」では前橋藩領。村高は,「元禄郷帳」385石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに386石余。天保年間頃の家数93(石井家文書/県史料安房)。当村は上組と下組に分かれており,嘉永7年の上組の明細帳(長谷川家文書/県史料安房)によれば,高177石余(うち田126石余・畑47石余),反別16町4反余(うち田10町5反余・畑5町9反余)。村内には鎮守熊野権現,その別当寺福寿院,真言宗真言院のほか,弥陀堂・観音堂・慈限(眼)院がある。秣薪場は小戸・珠師ケ谷・布野・磑森・滝原の5か村と入会う。明治6年千葉県に所属。同7年の村柄大概書では戸数94・人口518で,農間余業は屋根葺・木挽(長谷川家文書/県史料安房)。「共武政表」によれば,字黒岩の戸数25・人口142,牛14,馬7,物産は米・麦・雑穀・薪。明治22年北三原村の大字となり,当村飛地は南三原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293366
最終更新日:2009-03-01




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