ケータイ辞書JLogosロゴ 結縁寺村(近世)


千葉県>印西市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国印旛【いんば】郡のうち。印西領・印西筋に属す。寛永年間から高岡藩領,万治3年から旗本井上氏領,「各村級分」では幕府・旗本井上氏の相給,元禄14年から幕府・佐倉藩の相給。村高は,「元禄郷帳」218石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに224石余。慶長7年に検地が行われている。なお幕府領分90石余は,寛文・延宝期に惣深【そうふけ】新田が開発された時,同時にもと入会地の惣深野に開発された当村の切添新田である。同新田は延宝4年の検地により高請され,本村高に含められた。享保8年指出帳によれば,佐倉藩領分の反別田12町8反余・畑屋敷4町9反余・新畑8反余,家数32・人数104,馬12。元文3年村鑑銘細帳によれば,新田分の反別畑18町1反余,皆金納(飯岡家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は熊野神社。明治22年船穂村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293387
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ