ケータイ辞書JLogosロゴ 高野山村(近世)


千葉県>我孫子市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国相馬郡のうち。天正20年には検地があった。幕府・旗本弓気田氏の相給。村高は,「元禄郷帳」42石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに98石余。助郷は水戸街道我孫子【あびこ】宿の定助郷29か村の1つ。当村の天保14年の家数19はすべて弓気田氏領で,幕府領はない。神社は香取神社で,天慶3年創建と伝える。寺院は,真言宗最勝院。小林一茶の「七番日記」によると文化7年7月29日同寺を訪れ,「四国廿七番の観音うつして,参詣有。是を新四国道場といふ,庭に大桜あり」と記している。成田街道沿いの本郷・根郷の両字に集落をもつ。江戸前期からの手賀沼開墾によって成立した高野山村新田は当村を親村とした。当村では荒井家塾が筆学を教えた。明治6年千葉県に所属。同11年南相馬郡に編入。明治7年の戸数24。明治22年我孫子町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293475
最終更新日:2009-03-01




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