ケータイ辞書JLogosロゴ 国分村(近世)


千葉県>館山市

 江戸期〜明治22年の村名。安房国山下【やまもと】郡,のち安房郡のうち。はじめ里見氏領,元和元年幕府領,のち「正保高帳」では北条藩領,「房陽郡郷考」では忍藩領,「旧高旧領」では前橋藩領。村高は,慶長15年「里見家分限帳」309石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに244石余。ほかに「天保郷帳」「旧高旧領」では北条村のうちに国分出作が見え,村高はともに149石余。「正保高帳」では村高244石余のうち,田118石余・畑126石余。正徳年間頃藩主屋代忠至の家臣川井藤左衛門は滝川から用水堀を国分溜池まで開掘し,灌漑用水として高井村・上野原村と共用した。正徳元年北条藩領内の27か村の百姓は川井藤左衛門の苛政,暴状を越訴に及び遂に藤左衛門父子は死刑に,領主屋代忠至も領地を没収された。世にいう万石騒動である。村人はこの騒動の犠牲者となり萱野芝で斬首された湊村角左衛門・当村長次郎・薗村五左衛門の3名主の石塔を国分寺境内釈迦堂前に建立,篤くその霊を祀り,供養した。鎮守は諏訪神社,ほかに天満神社・金刀比羅神社・八坂神社・妙見神社・八幡神社,寺院は真言宗国分寺。明治6年千葉県に所属。同年旧民家を仮校舎として小学校開校,教員数2,生徒数男31・女9,同9年山本小学校と合併。明治22年館野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7293554
最終更新日:2009-03-01




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