ケータイ辞書JLogosロゴ 椎名内村(近世)


千葉県>旭市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。天正18年木曽義昌領,慶長5年徳川氏領,同6年内藤清成領,元和8年幕府領を経て,元禄11年旗本大村氏と与力給知の相給となる。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに318石余。うち32石余は浜高で,塩焼きをしていたことによる。北部を岡,南部を浜と称す。用水は登戸【のぶと】溜井を利用したが,水深が浅く旱損が多発。地引網漁業が盛んで,船役などの漁業年貢を上納,地引網主は名主であった。享保2年の家数150・人数662,出家4,道心者3,馬13。職人は船大工1・鍛冶1。神社は矢指神社(ぐんだり様)・前神社・稲荷神社など。寺院は真言宗宝寿院・吉祥院など。祭礼には矢指神社の祇園(6月6日〜7日)や不漁が続いた時に行われる豊漁祈願の「まんなおし」の行事がある。明治8年千葉県に所属。明治4年石橋虎三郎が私塾を開設,同10年福寿院を仮用して椎名内学校設立。明治22年浦賀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294005
最終更新日:2009-03-01




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