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- 七右衛門新田(近世)とは
「七右衛門新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 七右衛門新田(近世)
江戸期~明治22年の村名...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7294043]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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七右衛門新田(近世) 江戸期~明治13年の村名下総国印旛【いんば】郡のうち布鎌新田の1つ,布鎌を冠称利根川,同川支流将監川,および長門川に囲まれた河岸低平地の北西部に位置する地名の由来は,新田開発時の中心人物名によるものかもと大瀬野を寛文年間に開発し,延宝元年の検地により高請され成立はじめ幕府領,天保10年から浜松藩領,弘化3年一時幕府領となるが,以後再び浜松藩領村高は,延宝元年拾九ケ村名寄帳・「元禄郷帳」41石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに42石余また,延宝元年の反別5町9反余,皆畑(印旛郡誌)神社は八幡宮明治6年千葉県に所属明治13年三和村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」