ケータイ辞書JLogosロゴ 柴原子郷(中世)


千葉県>鴨川市

南北朝期〜戦国期に見える郷名安房国長狭【ながさ】郡のうち柴原郷ともいう建武5年10月11日付源朝臣某寄進状に,長狭郡大山寺に大般若経転読料所として寄進された田地として「当(長狭)郡柴原子郷上村内田地壱町〈奈良井原〉」とあり(安田文書/大日料6-5),貞和2年6月13日付大炊助源某寄進状・延文3年2月10日付但馬守泰親寄進状では「長狭郡柴原子郷上村内新大山寺敷地」として「大田代」の地が寄進安堵されている(同前/大日料6-9・6-22)次いで応安3年6月1日付上総介氏広安堵状では「長狭郡柴原子郷上村内新大山寺寺領壱町并敷地等」が安堵されている(同前/大日料6‐33)また室町期には応永24年12月24日付左衛門尉胤継・沙弥恵超連署安堵状によって竜興寺に「長狭郡柴原子郷上村皆蔵御社造営料田一町」の知行が認められた(諸家文書纂/後鑑)下って戦国期には,松永安左衛門氏所蔵釣燈籠銘に「安房州長狭郡柴原郷 高蔵山大山寺燈籠 奉寄附田代中務大輔源弘長敬白 惟時天正四年丙子七月十日」と見える(県史料金石2)上引史料にいう上村は鴨川市上として残存し,「奈良井原」は現鴨川市北風原【ならいはら】付近,「大田代」も鴨川市平塚字大田代に比定され,高蔵山大山寺も鴨川市平塚に所在するので,現在の鴨川市西部に相当すると考えられるなお,先引の応永24年安堵状に見える竜興寺は現存せず,所在地も未詳であるが,応永22年12月19日付足利満隆御教書・至徳2年11月10日鎌倉御所足利氏満御教書によれば,鎌倉公方の祈願所であったことが知られる(保坂文書/県史料県外)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294088
最終更新日:2009-03-01




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