ケータイ辞書JLogosロゴ 神宮寺村(近世)


千葉県>旭市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。天正18年木曽義昌領,慶長5年徳川氏領,同6年青山氏領,元和9年幕府領を経て,元禄10年半分が旗本佐々木氏領となり,同14年残りの幕府領が旗本高井氏領となる。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに402石余。当村は畑方が多く,旱損が多発し,無石盛であった。太田村駅馬宿の助郷役を負担。漁業も盛んで4乗の地引網があった。郷蔵が2か所置かれた(1か所破損)。享和2年の家数207(船大工1・家大工1),人数860,馬13。神社は惶根【かしこね】神社,寺院は天台宗南蔵院・不動院。祭礼には1月7日に行われるお的神事などがある。明治8年千葉県に所属。明治6年医師平塚精斎が私立神宮寺学舎を設立。同12年恂立小学校へ発展。公立小学校は明治11年廃寺であった寿命院を仮用して中谷里小学校分校を設立。明治22年富浦村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294358
最終更新日:2009-03-01




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