ケータイ辞書JLogosロゴ 須賀山村(近世)


千葉県>東庄町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国香取郡のうち。寛永8年の検地帳には「東庄小見川領須賀山村」と見える(多田庄兵衛家文書)。「各村級分」では幕府領,旗本中根氏・川口氏の相給,享保20年には旗本中根氏・石河氏・川口氏・石尾氏の相給(木内神社所蔵文書/県史料下総),「旧高旧領」でも同じ。村高は,「元禄郷帳」1,254石余,「天保郷帳」1,258石余,「旧高旧領」1,256石余。利根川水運の発達とともに河岸場が形成され,現桁沼川沿いの笹川河岸は近隣諸村の年貢津出し場であった。漁業も盛んで,元禄10年頃銚子外海の住人を中心に当村に会所を建て,漁業従事を願い出ている(田中家文書/県史料下総)。また,名物「笹川蜆」の産地としても知られた(利根川図志)。宝永5年東方の鹿戸村下の汀線際に当村の新田菰敷が出来る(羽計家文書)。寛政5年明細帳によれば,家数282・人数1,129,舟数9(多田家文書/県史料下総)。文化13年平田篤胤の来遊の際,多田庄兵衛・五十嵐左京が入門している。天保15年繁蔵居宅で喧嘩出入りがあり,浪人平田深喜が死亡する事件が発生(多田庄右衛門家文書)。醸造業も発達し,慶応4年の醤油造人2・造高500石,酒造人4・造高560石(多田庄兵衛家文書)。明治8年千葉県に所属。神社は八坂神社・諏訪大神社・葦芽神社・八幡神社・日枝神社など,寺院は真言宗東福寺・西福院・延命寺,浄土宗西光寺(香取郡誌)。明治13年地先の下利根川の寄洲払い下げと開墾が着手され,字壱番洲より七番洲までが形成された。同17年西光寺を仮校舎に須賀山小学校開校(のちの笹川小学校)。明治22年笹川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294409
最終更新日:2009-03-01




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