ケータイ辞書JLogosロゴ 洲宮村(近世)


千葉県>館山市

 江戸期〜明治22年の村名。安房国山下【やまもと】郡,のち安房郡のうち。はじめ里見氏領,元和元年幕府領,のち「正保高帳」では旗本酒井氏領,「房陽郡郷考」では淵ノ宮村と見え館山藩領,「旧高旧領」でも館山藩領。村高は,慶長15年「里見家分限帳」113石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに156石余。「正保高帳」では村高156石余のうち,田94石余・畑54石余・社領7石。享保13年名主太右衛門が日光御社参御用人足の御扶持米代353文をうけ取っている(島田家文書)。天保年間頃の家数29(石井家文書/県史料安房)。明治6年千葉県に所属。神社は洲宮神社,寺院は真言宗薬王院(安房郡誌)。明治22年神戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294437
最終更新日:2009-03-01




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