ケータイ辞書JLogosロゴ 高萩(近代)


千葉県>栗源町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ栗源村,大正13年からは栗源町の大字。明治24年の戸数66・人口377,厩33。同32年高萩原入植者が地主津田出を相手に小作争議(蓑背負騒動)を起こした。この時これを支援した藤森音重はのちに藤森農場50町歩を経営,教会や慈善小学校を開設(栗源町史)。その後高萩原開拓地では桑苗生産が急伸,栗本・改良鼠返しなどの新品種改良もあって,昭和初期桑苗生産量年500万本で県下一となる。この間中峰・上ノ台・受所の3地区を形成。中峰は明治14年入植開始,当時の戸数8,同40年茨城県笠間稲荷を勧請した稲荷神社を創建,昭和12年戸数45。上ノ台は明治20年入植開始,昭和12年の戸数55,桑苗栽培が特産で,同30年桑苗栗本の原木が発見された旭市鎌数の天照皇太神を勧請して上ノ台神社を創建。受所は明治36年入植開始,大正12年旭市鎌数の天照皇太神を勧請して受所神社を創建,昭和12年の戸数47。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294712
最終更新日:2009-03-01




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