ケータイ辞書JLogosロゴ 高松村(近世)


千葉県>富里町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国印旛【いんば】郡のうち。はじめ高岡藩・佐倉藩の相給,元禄10年頃から佐倉藩領。村高は,「元禄郷帳」92石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに108石余。寛延3年の家数17。佐倉道(成田街道)と外房の九十九里海岸を結ぶ街道の継立場となっていたため,公用の通行が度重なると人馬の負担は大変であった。当時の旅籠として緑屋・松屋・藤屋の3軒が知られる。天保10年中沢村と地境をめぐって村方出入りが起きる。寺院は真言宗普門寺,神社は香取神社・浅間神社・天神社。明治6年千葉県に所属。同年普門寺を校舎として高松小学校が開校,同18年高野小学校と合併して印東小学校第3分校となるが,同20年高松尋常小学校となる。明治7年「一村限調書」によれば,戸数24・人口124(区有文書)。明治22年富里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294717
最終更新日:2009-03-01




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