ケータイ辞書JLogosロゴ 多々羅田村(近世)


千葉県>印西市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国印旛【いんば】郡のうち。寛永年間から高岡藩領,万治3年から旗本井上氏領,元禄14年から佐倉藩領,「旧高旧領」では幕府・佐倉藩の相給。村高は,「元禄郷帳」14石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに83石余。なお「旧高旧領」に見える幕府領分9石余は,享保年間に開発された切添新田にあたると思われる。安政4年「領分村高帳」によれば,佐倉藩領分は免取で畑方永納,ほかに夫役永130文と見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。神社は厳島神社・天神社(印旛郡誌)。明治22年船穂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294830
最終更新日:2009-03-01




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