ケータイ辞書JLogosロゴ 館山中町(近世)


千葉県>館山市

江戸期〜明治10年の町名安房国安房郡のうち汐入川流域に位置する真倉村のうちで,分立の時期は明らかではないが,江戸中期以降独立して見える資料がある(房陽郡郷考など)「房陽郡郷考」では館山藩領,「旧高旧領」では真倉のうちに見え館山藩領村高は,「旧高旧領」11石余江戸初期里見氏により館山城下,真倉村の町割地として成立した寛政5年の真倉村郷差出帳では家数48・人数236,馬5,村方稼は農業と商い,神社は諏訪明神社で祭礼は6月27日,寺院は真言宗長福寺・浄土宗源福院(島田家文書/県史料安房)天保9年の真倉村差出書控では農間大工6人,うち2人は江戸出稼,農間船大工4人,うち2人は江戸出稼,農間木挽1人同年の真倉村書上帳では反別1町3反余,家数45・人数269(上真倉区有文書/同前)江戸末期,長福寺の僧法印宥弘が寺子屋を開いていた明治6年千葉県に所属明治10年館山町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294849
最終更新日:2009-03-01




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