ケータイ辞書JLogosロゴ 千町荘(中世)


千葉県>夷隅町

 南北朝期から見える荘園名。上総国のうち。「無窓国師年譜」(続群書9下)に「(元亨)三年癸亥正月,往上総国千町荘,剏退耕庵」とあるのが初見で,鎌倉末期に無窓国師が当荘にいたことがわかる。応永24年閏5月24日の鎌倉公方足利持氏御教書・同日の持氏書状(上杉文書/県史料県外)によると,同日足利持氏は二階堂右京亮の所領であった千町荘大上郷を,母一色氏の御料所としている。また,室町期のものと推定される年未詳12月19日の某書状(図書寮叢刊九条家文書5)によると,この頃当荘は伊北荘・伊南荘・上野国新田荘とともに金剛心院領であり,土貢の10分の1は安井門跡に進上されることになっていた。当荘内の天台宗法興寺は室町期に東上総における天台教学の一中心をなしたらしく,金剛頂経疏奥書(叡山文庫採訪目録/県史料県外)に「永和二年丙辰九月一日書了,於上総州千町庄法興寺松谷地蔵院東面書了」と見え,また同寺所蔵の磬には「長禄五年辛巳 上総州千町庄」との銘がある。下って,下総中山法華経寺(市川市)所蔵の鰐口銘にも「上総国千町庄大上郷妙□寺大日堂……長享三年己酉卯月七日」と見えている(県史料金石2)。法興寺のあった岩熊は現在の岬町岩熊に,また荘内大上郷は現在の睦沢町大上に比定されるので,荘域は現在の夷隅町須賀谷・能実・松丸・小又井・神置など,旧千町村を中心に,岬町・睦沢町の一部をも含む地域であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7294932
最終更新日:2009-03-01




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