ケータイ辞書JLogosロゴ 当代嶋村(近世)


千葉県>浦安市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。はじめ徳川氏領,慶長8年からは幕府領。村高は,「元禄郷帳」142石余,「天保郷帳」222石余,「旧高旧領」226石余。天正〜文禄年間頃江戸小岩村から田中十兵衛(内匠【たくみ】十兵衛)が移住したのが当村の初めという(浦安町誌)。低湿地であったため,元和6年十兵衛は行徳領源信寺の大旦那狩野浄天とともに用排水路の内匠堀の開削を幕府に願った。内匠堀は道野辺村囃水を水源とし,当村で旧江戸川に落とした。十兵衛は旧江戸川対岸東葛西領当代島村(現東京都江戸川区)の開墾も行ったといい,当地とは「農耕の渡し」で連絡したという。「葛飾誌略」(房総叢書)では,高201石余,家数42〜43。寺院は真言宗善福寺。明治元年同寺住職が寺子屋を開設(のち当代島小学校となる)。地内の稲荷神社は元禄2年武蔵国小岩村から移したといい,疱瘡に霊験があるとされ,嘉永年間には社内の小石をいただいて帰る者が市をなしたという。産業は半農半漁で,江戸初期には塩業が行われ,塩浜年貢として寛永6年には3貫850文を出したが元禄15年からはない(塩浜由来書/市川市史)。江戸への生魚などの積出しが堀江村・猫実村とともに享保12年から幕府川船奉行の支配下になり,毎年極印を受けて年貢を納めた。明治6年千葉県に所属。同11年東葛飾郡に編入。明治22年浦安村の大字となり,飛地は南行徳村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7295078
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ