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- 十日市場村(近世)とは
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![]() | 十日市場村(近世) 江戸期~明治8年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 十日市場村(近世) 江戸期~明治8年の村名安曇【あずみ】郡のうち高瀬川左岸に位置する地名の由来は,中世の市日による松本藩領池田組に属する村高は,「慶長改帳」43石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに45石余,「天保郷帳」197石余,「旧高旧領」200石余江戸後期に新田開発が進んだ安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数24・人数129高瀬川沿いに位置したため,しばしば洪水の被害にあった村の北に川合神社がある同社は安曇郡のうちでは保高神社とともに「延喜式」にその名を連ねる旧社であるが,何度か洪水で流されており,江戸期は現在地よりも南に位置していたと考えられる当村出身の桂園派歌人に内山真弓がいる天明3年生まれ,14歳で池田学問所に入り杉山巣雲に学ぶ25歳の時上洛し,香川景樹に師事天保5年杉山巣雲の没後池田学問所の2代目の師となった川合神社境内に歌碑がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属明治初年の戸数34・人口155(県市町村合併誌)明治8年会染【あいそめ】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 十日市場村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」