遠山村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。上総国武射【むしや】郡のうち。寛文8年からは旗本新庄氏領。村高は,文禄3年「石高覚帳」240石,「元禄郷帳」114石余,寛政5年「上総国村高帳」・「天保郷帳」「旧高旧領」ともに141石余。「上総国村高帳」では家数22。享保15年には,田畑屋敷高辻114石2斗1升8合,納高米108俵5合(4斗入),畑方米納17俵3斗8升4合(4斗入),畑方定納6貫668文(小川家文書)。なお当村は江戸期には御鷹場八田組に属した(東金御鷹場旧記)。明治6年千葉県に所属。同18年の反別157町7反余(上総国町村誌)。神社は東山神社。寺院は天台宗満福寺。明治22年大総村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7295098
最終更新日:2009-03-01