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中尾村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7295253]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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中尾村(近世)

江戸期の村名藤津郡のうち多良山地,古枝川流域に位置する鹿島藩領能古見【のこみ】郷に属す「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに小村に藤瀬村がある村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに163石余,「天保郷帳」では192石余,「旧高旧領」には見えないなお南部の山々および点在する奥山,平仁田,矢答などの集落は佐賀本藩領であった戦国期には有馬や大村の領有するところで,大村の家臣中尾某なる者が部下数名と来住して以来中尾村と称した(古枝村小志)天保年間の鹿島私領村々畝数石高帳では田畑屋敷茶畔12町余,地米高62石余近世末期の反別23町余,村高181石余(うち物成156石余・口米2石余・夫米7石余),ほかに林年貢銀約92匁余(鹿島藩記録)明治初年の戸数59(うち農家51)・人口237(同前)かつて当地に松尾山西福寺があり有馬氏の帰依寺であった天正年間に犬塚播磨守弾正盛家が竜造寺隆盛の藤津攻めで一番の武功があり森岳城主となったが,のち当村に閑居した西福寺の傍らに森村から興善院を移転した興善院は文明18年銘の木造阿弥陀如来座像があり,境内に慶安4年建立の庚申塔がある藤瀬にある地蔵堂は病気平癒の地蔵として参詣する者が多かった(鹿島志)天満宮は古枝川沿いにあり,延宝3年村の鬼門守神として尾崎の地から当地槿廟に移転した(古枝村小志)社殿には永禄4年銘の男神像と女神像があり,一木造りの狛犬がある明治初年の村高181石余,戸数59・人口237(鹿島藩資料)村内は,門守・小川内・槿廟・瑞徳・矢通平・坂本・永田・東平・新ケ江・祭場・二本木・平原・藤ノ瀬・立石・鳴瀬・立石の小地名からなる「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに古枝村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,古枝村のうちに「中尾村」と見え,戸数76・人口372

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中尾村(近世)
 江戸期~明治8年の村名...

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中尾村(近世)
江戸期~明治9年の村名合志【こうし】郡のうち阿蘇立野火口瀬の西方,白川中流右岸の河岸段丘上に位置する寛永年間に馬場村・南方村などとともに仕立てられた村で(熊本藩年表稿),江戸末期までに南方村から分村して成立熊本藩領村高は「旧高旧領」123石余「肥後国誌」では大津手永に属し,高123石余,南方村の新地とある宝暦11年の田畑下名寄帳(県立図書館蔵文書)によれば,新地田畑13町8反余・123石余,野開請藪等2町余同年の田畑地引合改見図帳(同前)によれば,田8町余・91石余,畠5町7反余・32石余寛政7年の大津手永略手鑑(肥後藩の農村構造)によれば,庄屋は善兵衛(南方村庄屋と兼帯),人数135,牛馬28,反別・高ともに宝暦11年の下名寄帳および地引合改見図帳に同じ天保15年の大津手永手鑑(大津町史研究2)では,「南方村内中尾村」と見え,片平の小名があり,反別・高は宝暦11年の下名寄帳・地引合改見図帳に同じであるが,野開1町8反・受藪8反余,田畠下名に前田・村西・久保田・五反割・上原・横塘・居屋敷があり,橋数10,竈数38水田は瀬田上井手筋の井樋から取水延宝8年大津手永当村と南方村・新町・馬場村・北方村の5か村は諸役御免を受けて以後40年を経過したので,本高同様諸役を勤めるようにとの達しが出ている(大覚帳頭書/熊本藩年表稿)熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年原水村の一部となる...

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中尾村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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中尾村(近世)
江戸期~明治7年の村名飽田【あきた】郡のうち井芹川中流右岸,小萩山から本妙寺山を経て東へ延びる尾根の北側に位置する地名は尾根の中腹の意というが未詳地内寺下に文安元年銘の六地蔵塔があったが,現在は熊本城下開門の上に据えられている熊本藩領村高は「旧高旧領」89石余慶長13年の検地帳(県立図書館蔵文書)によれば,高115石余,反別19町5反余,家数9,人数は男8・嫁4,牛4「肥後国誌」では,井芹村のうちと見え,池田手永に属し,高107石余,小村に西原村・楢林村などがある法華宗京都本圀寺末寺本妙寺があり,寺領400石加藤清正は天正13年日真上人を開山とし大坂に菩提寺本妙寺を建立したが,慶長5年改めて日真上人を開山として熊本へ移した同16年加藤忠広は清正霊廟を中尾山に建立し,同19年本妙寺も同山中に移築したこの本妙寺の大祭に頓写会があるこれは加藤清正の追善のため僧日遥が法華経の書写を始めたことに由来するという同寺参道沿いに妙心院・林蔵院・竜淵院など多くの塔頭があった(肥後国誌)本妙寺本堂前から胸突雁木と呼ばれる急勾配の石段を上ると,加藤清正を祀る浄池廟がある浄池廟は明治維新後,神祭に変わり,明治4年神社を熊本城内に移転,加藤神社となった熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年花園村の一部となる...

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中尾村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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中尾村(近世)
 江戸期~明治9年の村名...

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中尾村(近世)
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中尾村(近世)
江戸期~明治6年の村名日向国臼杵【うすき】郡のうち椎葉山【しいばさん】84か村の1つ九州山地中央部,耳川上流左岸の山中に位置する元和5年から幕府領(はじめ肥後国阿蘇神社の監督下に預けられたが,明暦2年からは肥後国人吉藩の預り支配地となる)人吉藩の椎葉山支配組織四組のうち松尾組に属した元禄11年「日向国覚書」には,村名は見えるが村高の記載はない村高は,寛延元年には2升余(日向国臼杵郡椎葉山村々様子大概書/明治大学蔵内藤家文書),「天保郷帳」では5石余,慶応3年(同前)にも5石余「日向国臼杵郡椎葉山村々様子大概書」(明治大学蔵内藤家文書)によれば,寛延元年の村況は,反別は畑2畝余,家数3,人数は男6・女5同じく慶応3年の村況は,村高5石7斗余のうち5石6斗余が文政11年焼畑高入分と見え,反別は畑1反余・焼畑5町1反余,家数3,人数は男21・女18,馬1明治元年日田県に属し,同4年人吉藩,人吉県,美々津県を経て,同6年宮崎県に所属明治6年松尾村の一部となる...

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中尾村(近世)
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