ケータイ辞書JLogosロゴ 中沢村(近世)


千葉県>富里町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国印旛【いんば】郡のうち。佐倉藩領,ただし享保年間からの持添新田(中沢新田)分は幕府領。文禄3年に検地が行われている。村高は,「元禄郷帳」519石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに661石余。享保19年中沢村丑年証文帳(原家文書)によると,村内は中沢村と新中沢村の2つに分かれ,農民も明確に区分されている。名主以下役人がそれぞれに置かれ,年貢割付状も別々に交付された。「旧高旧領」村高661石余のうち,409石余が中沢村,187石余が新中沢村,64石余が新田分にそれぞれ相当する。天明3年の大凶作のときは,村方が困窮し潰百姓・出奉公人が増加し,年貢米収納延期を要求して,他村とともに一揆を起こしている(佐倉市史)。天保10年,高松村と地境をめぐって出入りとなる。神社は稲荷神社・妙見神社,寺院は曹洞宗昌福寺,真言宗自性院・常福院。天保10年から昌福寺で寺子屋を開設している。明治6年千葉県に所属。明治4年新中沢村を分村。同12年中沢小学校が昌福寺に開校。同20年中沢尋常小学校となる。明治22年富里村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7295330
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ