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- 長田保(中世)とは
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長田保(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える保名越前国坂北郡のうち建暦2年9月日の越前気比宮政所作田所当米等注進状に「長田小森保〈当国坂井郡内〉件保,御封米二百十石七斗三升,調庸代米七百五石代被便補保也」と見え,小森保とともに気比神宮領であった(気比宮社伝旧記/鎌遺1945)年月日未詳の左大臣(藤原良輔)家遺領目録に「同(気比)社領 同(越前)国長田保 年貢六百四十六石五斗七升七合」とあり,領家は藤原良輔であった(門葉記雑決1/同前2409)建長2年11月日の九条道家初度惣処分状によれば,良輔の死後,後家禅尼から最勝金剛院へ寄進され検校僧正慈源が知行しており,慈源の死後東福寺領となすよう定められているが,同文書には「長田庄」と記されている(九条家文書)下って建武4年4月日の妙香院門跡領并別相伝目録に,「越前国……長田西保」と見える(門葉記/大正新修大蔵経図像部12)現坂井町東長田・春江町西長田付近に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長田保(中世) 鎌倉期にみえる保名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」