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- 成田村(近世)とは
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![]() | 成田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 成田村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
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![]() | 成田村(近世) 江戸期~明治22年の村名黒川郡のうち中央を山崎川(滑川【なめりがわ】また鶉崎【うずらさき】川ともいう)が沢々の支流を集め,開析谷を伴って北流し,吉田川に入る山深い村慶長9年まで和久宗是の知行地,のち下郡山氏・鹿野氏・赤井氏・塩松氏・支倉氏・黒沢氏・富塚氏・太斎氏・梅森氏・小梁川氏・南氏・高平氏・根来氏などの知行地となる(残間文書)村高は正保年間47貫余(高橋桃園文書),宝暦5年53貫余(黒川郡誌),天保5年498石余,うち新田65石余(宮城県史2)検地については,元和4年・同7年の竿入れ実施の記事があり,寛永17年検地・高47貫余,万治元年新田検地・高2貫84文,延宝3年同・高1貫642文と,寛延2年除屋敷の各検地帳写が残っている(残間文書)北沢山に84歳の天寿を全うしてこの地に没したと伝えている支倉六右衛門常長の承応3年2月17日銘の墓碑がある明和年間の人頭17人,明治初年の戸口40戸(黒川郡誌)松山利府【りふ】城下道の道筋に当たり,他は隣村に通う山間の小路のみである慶長初年から明治に至るまで代々御山守を継承した板谷【いたや】の残間氏がいる寺社には,諏訪神社・葉山権現社・神明社・熊野神社・観音堂・薬師堂(封内風土記),および長松沢稲荷堂・北沢山愛宕社(2社,明治42年中村神明社に合祀)明治元年新仙台藩,次いで仙台県を経て,同5年宮城県に所属明治22年黒川郡大谷【おおや】村の大字となり東成田と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 成田村(近世) 江戸期~明治8年の村名玉造【たまつくり】郡のうち江合【えあい】川両岸に位置し,左岸は丘陵地,右岸は低平な地形を示す集落は北羽前街道沿いに分布する村高は「元禄郷帳」234石余,「天保郷帳」では410石余「安永風土記」によれば,田代32貫余・畑代8貫余,計40貫余(うち蔵入地39貫余・給所1貫余),人頭21・家数26・人口143・馬22村鎮守の天神社,曹洞宗川竜山成田寺があり,成田寺は志田郡李埣【すもぞね】村富光寺の末寺で宝徳2年の創建と伝える蔵場があり,長さ10間・横2間半の3棟の囲蔵と長さ15間・横2間の買蔵,長さ10間・横2間の吹屋が並んでいた長さ5丁・横1丁25間の成田山御林と長さ70間・横25間の日光山御林があり,日光山御林には大肝煎渋谷平右衛門が自費で杉を植林していた岩出山町から志田郡古川町に至る道,栗原郡宮沢町から加美郡中新田【なかにいだ】へ至る道が通じていた明治元年新仙台藩,以後,仙台県・一関県・水沢県・宮城県・磐井【いわい】県に所属明治8年三丁目【さんちようのめ】村と合併し清水村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」