ケータイ辞書JLogosロゴ 仁玉村(近世)


千葉県>旭市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。はじめ幕府領,貞享2年からは旗本高力氏領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに169石余。鷹場(御捉飼場)に指定されている。農間余業として古くは塩焼稼ぎもあったが,漁業が中心である。不漁の時は常陸方面へ作奉公に出ることもある。女は西国綿を買い求めて木綿織をする。当村は岡・浜からなり,浜は飛地。浜に当村の漁業権があった。享和元年の家数94・人数421,馬15。神社は宇賀神社,寺院は真言宗不動院。漁民の習俗として正月の第1船としての出漁を嫌う「なまきり」と,餅を供えて川の神を祀る「かわびたれ」がある。明治8年千葉県に所属。同15年不動院を仮用して中谷里小学校分校が開校。明治22年富浦村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7295732
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ