ケータイ辞書JLogosロゴ 萩生村(近世)


千葉県>富津市

 江戸期〜明治22年の村名。天羽郡のうち。はじめ幕府領,「上総国村高帳」では旗本白須氏領,「旧高旧領」では旗本都築氏領。村高は,文禄3年「石高覚帳」187石,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに173石余。「上総国村高帳」では家数151。享保5年の差出帳によれば,反別25町3反余,うち田方4町6反余・畑方20町6反余,浦運上は永3貫250文であった(椙山家文書/県史料上総)。天保9年の差出帳によれば,家数144・人数790,牛43・馬4,農間余業は男が薪取り,女が糸取り,男女とも少々磯稼であった(同前)。17世紀以降桂網漁が盛んであった(同前)。明治6年千葉県に所属。神社は牛頭天王社(八坂神社)。寺院は真言宗東善寺・禅宗金堂寺。明治6年萩生学校設立。同8年の教員数1,生徒数男19・女20(文部省第3年報)。同18年の反別193町2反余,同19年の荷舟・漁船合計111(上総国町村誌)。明治22年竹岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7295871
最終更新日:2009-03-01




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