ケータイ辞書JLogosロゴ 浜上須賀村(近世)


千葉県>館山市

江戸期〜明治8年の村名安房国安房郡のうち汐入川下流域に位置する須賀は海浜砂州の居住に適した地域をさし,上は長須賀に対し高所であり館山城下であること,浜は岡上須賀に対し浜が主体であることを意味する真倉村のうちで,分立の時期は明らかではないが,江戸中期以降独立して見える資料がある(房陽郡郷考など)「房陽郡郷考」では館山藩領,「旧高旧領」では真倉のうちに見え館山藩領村高は「旧高旧領」9石余享保6年当村ほか2か村はかつら網地引の件で波左間村訴訟出入があった享保年間にはしばしばかつら網地引の件で近隣の波左間村などと訴訟をおこしている(島田家文書)寛政5年の真倉村郷差出帳では反別9反余,家数28・人数127,牛3,村方稼は農業のほか漁業稼,小漁舟14艘,庚申堂がある(島田家文書/県史料安房)天保9年の真倉村差出書控では農間船大工2人同年の真倉村書上帳では反別9反余,家数30・人数147(上真倉区有文書/同前)明治6年千葉県に所属明治8年上須賀村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7295981
最終更新日:2009-03-01




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