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- 古沢(中世)とは
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古沢(中世) 戦国期に見える地名相模国中郡のうち「役帳」に,小田原北条氏津久井衆井上加賀守の所領役高として「六拾五貫七百五拾文 煤ケ谷」と見え,このうち天文12年検地の増分47貫750文は「地頭方古沢共」と記されている次いで,永禄9年卯月日の本照寺鰐口銘写に「相州古沢本照寺常住鰐口」と見える(新編相模)なお「新編相模」には「役帳曰」として「五十貫七百八十八文,三浦秋屋,永島藤六,内十貫七百八十八文中郡古沢に伏屋舗分共」とあるが,内閣文庫本にはこの記載はなく,別本によるものと思われる天正19年11月徳川家康は「相州中郡古沢郷内三嶋大明神」に1石5斗を寄進している(本照寺文書/相文5)江戸期には上古沢村・下古沢村が見え,現在の厚木市上古沢・下古沢に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」