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北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち梓川扇状地と黒沢川扇状地が複合した梓川左岸の第3段丘上に位置する地名の由来は,西牧北方の村の意という(南安曇郡誌)地内南西部の山麓から縄文土器・石器が採集されている於田屋【おたや】には西牧氏の館跡があり,同所から北西にあたる城山山頂には西牧氏の本城である北条(西牧)城跡があるまた本神山麓の大宮熱田神社は西牧氏の支配領域のほぼ中央にあり,本殿は室町期の建築で国重文北条城跡のふもとの若宮八幡社は西牧氏の氏神その本殿も室町期のもので国重文天正10年8月10日小笠原貞慶は「西牧之北条」以下を新たに祝梅庵へ寄進している(小野文書/信史15)また同年9月2日小笠原貞慶は「西牧北条之内,定納五拾貫」の地を金松寺へ寄進している(旧記集/同前15)江戸初期に上野郷が当村ほか6か村に分村して成立松本藩領上野組に属する村高は,寛永19年の松本領村々高附帳(県史近世史料5-1)354石余(うち畑方310石),「元禄郷帳」221石余,「天保郷帳」では上野北条村と見え398石余,「旧高旧領」400石余享保13年の人数300安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(同前)によれば,家数60・人数380寺院は真言宗本願寺がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年梓村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
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北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国海西郡のうち木曽川下流左岸尾張藩領鵜多須代官所支配村高は,「天保郷帳」313石余,「旧高旧領」382石余「寛文覚書」によれば,概高は本田281石余,寛文4年と同6年新田100石余の合計381石余,反別25町余(田21町余・畑4町余),家数21・人数121,馬5「徇行記」によれば,戸数25・人数60,寛永元年の開基また,「村人農事ヲ専務トシ,漁業ナトハ生産ノ一助トハセズ」と記される寺社は,薬師堂・大明神社明治11年三ツ和村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北条村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」