ケータイ辞書JLogosロゴ 堀江村(近世)


千葉県>浦安市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。はじめ徳川氏領,慶長8年からは幕府領。村高は,「元禄郷帳」223石余,「天保郷帳」493石余,「旧高旧領」776石余。寛永6年当村の塩浜は荒廃し,猫実村とともに塩浜年貢免除となった(塩浜由来書/市川市史)。以後漁業が中心となり,猫実・当代嶋の2か村とともに小猟船は無年貢で,生魚などを江戸へ積み出し,享保12年幕府川船奉行支配下で226艘まで役銀は免除,毎年極印を受け年貢を納入,万延元年8月から1年間は3か村で25貫800文(市川市史)。境川の船着場は六人河岸と称した。天明2年漁場をめぐり当村や猫実村などは船橋村と争った(東京内湾漁業史料)。旧江戸川対岸には17世紀までに堀江新田が開発されたという。「葛飾誌略」(房総叢書)では,高431石余,ほか新田400〜500石,家数280〜290(新田200余),寺院は真言宗宝城院・浄土宗大蓮寺など。江戸期宝城院の賓頭廬【びんずる】明王像は撫でると病が治るとして信仰された。大蓮寺境内福徳稲荷を同寺下僕久助が死後江戸増上寺復興にかかわったとの伝説により久助稲荷と称する。明治6年千葉県に所属。同11年東葛飾郡に編入。明治22年浦安村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7296521
最終更新日:2009-03-01




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