ケータイ辞書JLogosロゴ 松ケ谷村(近世)


千葉県>海上町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。はじめ幕府領,享保10年からは旗本青山氏領。なお,「各村級分」では旗本高力氏領と見える。慶長17年の検地による家数37,高153石余。村高は,「元禄郷帳」148石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに149石余。寛文年間からの椿海開発にともない,新田用水のための惣堀用地として4石余村高からの削除があった(木内家文書)。また,当村には明治中期頃まで千間松という巨木があって,椿海干拓のときには湖西端の飯塚村の長者松とともに東西中央の測標とされ,両松間の距離は7,950間とされた(椿湖開発記)。将軍が下総巡視の折にこの地方の柑子を賞味したことから,毎年江戸に柑子が献上され,当村でも薬師堂ほか4家より献上された元和3年の記録がある(谷本家文書)。神社は大宮神社。寺院は竜光院・東福院があったがともに明治初年廃寺となる。明治8年千葉県に所属。明治22年滝郷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7296652
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ