ケータイ辞書JLogosロゴ 万石郷(中世)


千葉県>木更津市

 南北朝期〜室町期に見える郷名。上総国望東【もうとう】郡金田保のうち。万国郷・万石村とも見える。文和3年11月24日の前安芸守二階堂成藤奉書(明王院文書/県史料県外)によれば,鎌倉明王院のうちにある春日社の雑掌が「金田郷内万石・大崎村」地頭代の正税未納を訴えている。明王院は鎌倉摂家将軍頼経の御願寺であったため,境内に総社として春日社が勧請された。同社は上総国内の天羽・周西【すさい】・与宇呂など数か所からの正税を収取しており,同様に金田郷(保)内とされる万石・大崎両村の正税も充てられていた。しかし鎌倉幕府の滅亡に伴い,保護勢力を失った同寺は,下地支配力も衰え,当時,現地の地頭代による緩怠に悩まされたものと思われる。その後,年月日未詳岩松氏所領注文(正木文書/県史料県外)に「一所 万国郷由緒地〈今度刻まで鹿倉知行〉」と見えるが,当郷が岩松氏の支配下に置かれた経過は未詳。岩松氏は15世紀初頭の上杉禅秀の乱に際し,満純が禅秀方に与力した為に勢力の衰退と所領の削減を招いたが,その後享徳の乱のさなか,岩松持国は鎌倉公方足利成氏に上申して,失った所領の回復に努めたという。この時持国は,平安末期,嘉応2年の新田荘目録を手懸りとして,所領目録および注文等を作成するが,さきの年月日不詳の注文は,この享徳4年に作成された一連のもののうちとされる(群馬県史5)。ただしその中には応永2年と明記のある注文も含まれており,両者の記載内容に連続性の見出されるところから,この年代まで遡って考える余地もある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7296759
最終更新日:2009-03-01




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