ケータイ辞書JLogosロゴ 萬力村(近世)


千葉県>干潟町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国香取郡のうち。寛文年間からの椿海の新田開発によって成立。元禄8年検地帳には鏑木村下と見え,反別は139町1反歩余。翌9年萬力村となる。「各村級分」「旧高旧領」ではともに幕府領。村高は,「元禄郷帳」2,231石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに2,460石余。明細帳によれば,寛保3年家数138・人数770,文化14年家数181・人数840,馬18(平山家文書)。延享3年には鏑木村との間に秣場の利用をめぐって争論(鏑木家文書/干潟町史),また安永2・3年には村方騒動があった(鵜野家文書/干潟町史)。用水は鏑木村の長熊・亀城溜井を鏑木村と共同利用。明治8年千葉県に所属。同7年萬力学舎・新発田学舎が設立。同9年それぞれ萬力小学校,沖小学校となる。同20年沖小学校は沖尋常小学校となり,萬力小学校は鏑木小学校と合併して鏑木村に陽発尋常小学校が設置されるが,同22年陽発尋常小学校が廃校となり当村に萬力尋常小学校設置。神社は干潟大神・水神社,寺院は真言宗地蔵院(香取郡誌)。明治22年古城村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7296772
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ