ケータイ辞書JLogosロゴ 宮川村(近世)


千葉県>光町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国匝瑳【そうさ】郡のうち。延宝年間「東金御鷹場旧記」では佐倉藩,旗本内藤氏・伊藤氏の相給,「各村級分」では旗本内藤氏・伊藤氏・荒木氏の相給。「旧高旧領」では旗本内藤氏・伊藤氏・荒木氏・妻木氏の相給。村高は,「東金御鷹場旧記」783石余,「元禄郷帳」1,118石余,「天保郷帳」1,024石余,「旧高旧領」1,142石余。寛文13年に検地が行われた(越川家文書)。天保9年には家数214,うち62軒が農間渡世,その中で11軒が居酒屋(尾垂惣領村外十三ケ村組合諸商渡世向取調書上帳/祭魚洞文庫)。弘化2年では,内藤給725石・家数144,伊藤給230石・家数52,荒木給113石・家数10,合計1,069石余・家数206(関東取締出役控帳/匝瑳郡誌)。明治8年千葉県に所属。神社は熊野神社(宮川入之領境の宮・熊野新宮大権現)・玉寄神社・浅間神社,寺院は真言宗実蔵院・宝持院・薬王院・放光院(匝瑳郡誌)。同8年宮川学校設立,宝持院を校舎に,放光院を教場とし,芝崎村から通学する者もあわせ生徒70名,同12年放光院に上宮川小学校,宝持院に下宮川小学校を設立。同14年上宮川小学校が芝崎村に移転,放光院に置かれた分教場はまもなく本校に併合されるが,同19年再興。同20年下宮川小学校と放光院の分教場が合併して宮川尋常小学校となる。明治22年東陽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7296954
最終更新日:2009-03-01




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