ケータイ辞書JLogosロゴ 山本村(近世)


千葉県>館山市

 江戸期〜明治22年の村名。安房国山下【やまもと】郡,のち安房郡のうち。はじめ里見氏領,元和元年幕府領,のち「正保高帳」では北条藩領,「房陽郡郷考」では忍藩領,「旧高旧領」では前橋藩領。村高は,慶長15年「里見家分限帳」752石余,「元禄郷帳」674石余,「天保郷帳」680石余,「旧高旧領」681石余。「正保高帳」では村高674石余のうち,田555石余・畑111石余・寺領7石。正徳元年北条藩領の当村ほか26か村は百姓一揆万石騒動を起こした。享保13年名主久右衛門が日光御社参御用人足の御扶持米代1貫574文をうけ取っている(島田家文書)。天保年間頃の家数94(石井家文書/県史料安房)。田代池を用水として利用。田代池の近くに飢饉時に村民を救った小野さまの石碑がある。鎮守は御岳神社,寺院は曹洞宗竜淵寺・真言宗金乗院。明治6年千葉県に所属。同10年大作村・滝川村を合併。明治6年山本・大作・滝川の3か村が連合して竜淵寺を仮校舎として山本小学校設立,当時学齢児童85人のうち就学児童25人(うち女子3人)であった。同18年子守教育場を設置,同21年山本尋常高等小学校となる。明治22年館野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297402
最終更新日:2009-03-01




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