ケータイ辞書JLogosロゴ 吉岡村(近世)


千葉県>四街道市

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ下総国千葉郡,寛永4年からは印旛【いんば】郡のうち(印旛郡誌)。臼井藩領を経て寛永4年からは佐倉藩領。村高は,「元禄郷帳」455石余,「天保郷帳」476石余,「旧高旧領」446石余。天保年間村の南方台地に吉岡新開を開発。寛文7年成田街道臼井宿の大助郷村に指定されたが,その負担に苦しみ享保8年には近隣12か村とともに助郷を拒否,臼井宿と対立している(四街道町史)。文政年間には村内年貢米288俵のうち46俵を千葉寒川蔵に,残りを佐倉椎木蔵に納入する規定となった。文政10年の寄場組合は馬渡組合村に属し,佐倉藩の五郷組合では吉岡組合を形成。真言宗福星寺には,東金に鷹狩を行った徳川家康が金親村金光院で愛でたしだれ桜を根分けしたと伝える桜がある。明治5年来宝院に吉岡学校開校,のち福星寺に移転。明治6年千葉県に所属。明治22年旭村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297510
最終更新日:2009-03-01




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