ケータイ辞書JLogosロゴ 相川町(近世〜近代)


東京都>江東区

江戸期〜昭和6年の町名明治44年までは深川を冠称深川猟師町8か町の1つ,また浜13町の1つでもあった寛永年間の開発で,当初は開発者で以後も名主をつとめた相川新兵衛の名にちなんで新兵衛町といった御菜御用などの諸役をつとめる町で無年貢地だったが,寛文10年の検地以降年貢地となった元禄8年の石高13石余,反別1町1反1畝8歩,このとき町名を相川町と改称正徳3年から町奉行支配も受け,代官所との両支配となる(備考)化政期の家数210軒(町方書上)カキを取り扱う者が多いことから俗に蠣店【かきだな】といわれ,漁師たちは「えさば」ともいった熊井町続に飛地があり,俗に相川半町といわれた(備考)明治5年の戸数123・人口550(府志料)明治元年東京府,同11年深川区に所属昭和6年永代1丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297641
最終更新日:2009-03-01




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