ケータイ辞書JLogosロゴ 青柳村(近世)


東京都>国立市

 江戸期〜明治22年の村名。多摩郡府中領のうち。はじめ幕府領,のちに旗本領。「昔は此村今の本宿(府中市)の南多摩川岸の青柳島という所にありしが」寛文11年頃,この地に移ったという(新編武蔵)。石田村新田と複雑に入り組み,村内南方を東西に甲州街道が走る。化政期の家数48軒。「田園簿」の村高は,田17石余・畑6石余,計23石余。「天保郷帳」「旧高旧領」の村高はともに163石余。村南端を流れる多摩川に長さ8間・幅4間の土入樋があり,付近7か村の灌漑用水を引く。鎮守は多摩川ほとりの稲荷社。明治5年神奈川県,同11年からは北多摩郡に所属。明治22年谷保【やほ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7297654
最終更新日:2009-03-01




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